動き続けるということ
ここのところずっと、僕の頭の中はバイクのことでいっぱいだ。「ここのところ」というのは、最近40年かそこらだけど。僕の考えるところをちょっとここに書かせてもらうよ。
バイクというのはホント気ままなイキモノだと思う。慣性の法則に逆らって動き、進化なくじっと佇んだり、衰退したりというのが大嫌いなんだ。
バイクは前に進みたがるんだ。一目見れば分かるだろ。じっと動かないでいるバイクは、ひたすら同じ音を出し続けているオルガンと同じで、なんか奇妙じゃないか。音は動かなければ曲にならないよね。バイクも前に進まなきゃ。
まあ、これは少し偏った見方かもしれない。だって僕はバイクが好きだから。バイクなら何でもさ。もっと言えば、僕はホイールが好きだ。ホイールは進もうとするからね。バイクにはホイールがふたつ付いてくるっていうとこがいい。ちょっと得した気分になるというかさ。僕の考えでは2というのはバランスのとれたパーフェクト・ナンバーなんだ。
みんなが思っている以上に大事なものだよ、バランスって。
バイクに乗っているときが一番しっくりくる。それって動いているっていうことなんだけど、何かから遠ざかって行くような感じじゃなく、むしろその反対なんだ。シングルトラックでもスイッチバックでも街中のストリートでも、バイクに乗っているときは、何かに向かって進んでいる気がする。それは前方へと向かう、それ自体に価値がある動きなんだ。月並みな言い方をすれば、バイクに乗ること自体に意味があるっていうか、結局それが行き着く答えなのさ。
バイクのことになると、たしかに周りが見えなくなることもある。バイクはバイクであって、それ以上の何モノでもないのも事実。単なるゴムと金属、チェーンや棒の集合体だ。だからパイロットが必要なんだ。覚えている限り、僕はずっとパイロットをやっている。正直、僕の人生にはハッキリとした記憶が残ってない日が何日もあるから(←内緒)、自分が覚えている以上の時間をパイロットとして費やしてきたと思う。僕は何百人ものパイロットを知ってる。いや、何千人だな。しかも、今でもその数は毎日増え続けてる。彼らがハンドルバーを握り、自らと自然界の力だけで発進する。同じ方向へ突き進む2本のホイールの回転音。何千ものパイロット×2本のホイール。とにかくものすごい推進力だ。
少しオールドスクールな理想主義者(ヒッピーとも言う)的な考えかもしれないけど、僕にとってバイクに乗る人はみな兄弟なんだ。君もだよ。いやホントに。「ヒッピー」の定義は「社会に定着している従来の考え方や慣習の多くに異を唱え、それらを拒絶する人々」とされているけど、さしあたり、バイク信奉者はこの定義に当てはまるんじゃないかな。
自身の2本の脚を動力源として走り回るのは「従来の習慣」とは言えないだろ。全くもって違う。朝、これから出勤しようという時に、ズボンの裾がチェーンに巻き込まれないように、なんて考える人が一体どれだけいる?急斜面をサドルの後ろにぐっと腰を落として、危険極まりない角度で飛び込んでくる木々の間をすり抜け、恐怖と高揚感に沸き踊る血を感じながら一気に駆け下りる…。明らかに標準的な行動ではないね。
こんな反主流派的なものを良いことだと、誇りの象徴だと捉える人もいる。それを良しとしない人もいる。僕はといえば、いいか悪いかにはあまり興味がなくて、それよりも「なんで?」と考え込んでしまう。なんでもっと多くの人々がバイクに乗らないんだろう?どれくらいの人が仕事場へのバイク通勤距離圏内に住んでるか知ってる?アムステルダムでは、バイクが通勤手段の40パーセントを占めてるって知ってた?(おっと、ここにも僕がアムステルダムを好きなワケが!)
マウンテンバイクと言えば…の僕が通勤について語るのには違和感を感じるかもしれないけど、でもそこが僕の言いたいこと。僕はバイクであれば何でもいいんだ。2つのホイールと勢いをもって、自分自身の力で、自分自身のやり方で到着する。山の頂上まで登り切る。丘を麓まで下る。100万人都市の100階建てビル正面の回転ドアが目的地の時もあれば、次は火星に行くかもしれない。要はバイクに乗って辿り着けさえすれば、場所はどこだっていいんだ。
つまり言いたいことはというと、バイクについて考え、バイクに取り組み、バイクを夢に見て、バイク、そしてそれに乗る人々に恋をしてきたこれまでの月日を通して、僕が繰り返し帰り着くひとつの思い — いや、唯一の決意。それは、もっとたくさんの人々にバイクに乗ってもらうために、自分にできることは何でもやり続ける覚悟だということ。
どうしてって? だってバイクって素晴らしいじゃない。
とても単純。
僕の考えてることって、そんなところ。
それじゃまた。